どーも。 若干ビックリしました。 塩崎です。
何が?って話なんですが・・・
先日、会社で社長との個人面談がありました。
社長が持っているカード(まさにトランプのような)を1枚、好きなのを引いてそれに書かれてあるテーマについて話をするというものです。
引き当てたカードに書かれた言葉が『生きるとは』・・・
この話題において、石井先生がブログにも書かれていた死生観という言葉が出てきたのでビックリしました。
という訳で、偶然にも同じキーワードが出てきたので、面談の内容について(と言っても俺の考えに対して、社長の意見ですけどね・・・)文章にしてみたいと思います。
過去のブログでも多分書いたと思いますが、『生きるとは』でまずイメージしたことがとある利用者様のお言葉です。
「主人を無事に送ることができたので、もうやり残したことはありません。いつお迎えに来てもらっても悔いはない。」というお言葉。
日本人の平均寿命は女性で86歳前後だったかと記憶しています。
80~90年という年月を生きて、生きて、生き抜いて、もうやり残したことはない。
その人が一生懸命生きてきて到達することのできた境地。
まさに『生きるとは』このことではないか・・・と俺は考えています。
20~30代は自分のやりたいことを見つけて、それに向かって努力を惜しまないこと。
40~50代は次の世代に何が残せるのか?を考えること。
60~70代はまだ答えが見つかっていません。
80~90代はやり残したことはない。いつ人生を終えても悔いはない。と思えるような最後を迎えること。
今、俺はこの在宅というフィールドで理学療法を展開して早5年になろうかとしていますが、その中でとりあえず人生ってこうなのかな?って答え、考えを見つけています。
でもどうやったらその境地にたどり着けるんだろう?ってことなんですが・・・
その前にもう一つ掘り下げなきゃいけない事実があります。
明日生きている保証はどこにもないってこと。
どんなに健康な人でも何かの事故に巻き込まれるかもしれない。
どんなに元気な人でもどこかに病気が見つかるかもしれない。
そう考えると命あるものは明日も生きている可能性って100%ではないんですよね。
今生きている人のほとんどが、明日人生を終える確率よりも、自分の人生は平均寿命の80年近く生きるだろうって確率の方が高いだろうって考えていると思います。
もちろん、不幸にも病気や事故で、そうでない人もいるはずですが・・・
そんな自分の考えを話した後に社長が「死生観というものがないんだろうね。」と言われました。
何か面倒くさいことがあったら、もう明日でいいや!って思ってしまうのが人間だけど、でも実は明日それができる保証ってどこにもない。
また明日努力できる保証はないから、今日やっておこうって考えて、実践できる人が本当は偉い人なんだ。
といったお話でした。
石井先生と同じキーワードでも全く話の視点が違うので、少しだけ、石井先生の書かれてた内容に対して、自分の考えを書かせていただきますと・・・
とりあえず残された人にできることは、亡くなられた方をちゃんと送ってあげることだと思います。
送ってあげることができた後は、悲しみや喪失感で立ち止まってしまうこともあるかもしれない。
でも、残された自分は生きているのだから、自分にとって『生きるとは』何か・・・を考えて、亡くなられた人に恥じないようにまた前を向いて歩きだしてほしいなって思います。
俺ならそうしたい。
少しだけ立ち止まることはあったとしても、また歩きださなきゃ、最後までしっかり悔いのない人生を終えなきゃ、顔向けなんてできないですからね。
さあ、明日からも頑張りますよ!
それではまた!
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