2009年2月26日木曜日

『おくりびと』

どーも。  最近なかなか忙しくて余裕のない男。  塩崎です。


映画 おくりびと、先日第81回アカデミー賞 外国語映画賞を受賞した作品です。

火曜日には本当にメディアの注目の的で、利用者様のお宅でテレビがついているとどれもこの話題でした。
(テレビは見てたわけじゃないですよ・・・見ながら仕事してたなんて、あるまじき行為です。音が聞こえてただけ・・・)
まあ、映画は見ていないのですが・・・


内容的には納棺師という職業の方のお話で、命を尊ぶもののようです。

ワイドショー情報で俺なりの解釈です。


とある番組でコメンテーターの方がコメントして本当に印象に残った言葉があります。

『自分の国にこんな文化があることを誇りに思う。』

それが世界に認められたんだというお話だったのですが・・・


そもそもこんなことをいったい誰がいつ頃から何の目的で始めたのでしょうか?

ちょっと情報がないので正確な情報は分からないのですが、やはり命を尊ぶ精神がこういった職業を生み出したのでしょう。

先人たちが実践してきたこの文化、精神は我々の中にも根強くあって、ご先祖様を大事にする心遣いがあるのでしょうね。


家で見た映画のワンシーンなども本当に心に訴えかけるものがあって、『自分の国にこんな文化があることを誇りに思う。』と言う言葉が身に沁みました。

まだまだ知らない我が国の文化があると思いますが、一日本人として国際社会に出た時には自分の国に誇りが持てるよう、そういったことも勉強する必要があるなと思いました。


さあ、週末は関節疾患理学療法研究会 第5回シンポジウムです!!

それではまた。

2009年2月22日日曜日

幸せな気持ちになれる話

どーも。  実家から帰ってきました。  塩崎です。


先日、また利用者様と深い話をする機会がありました。

本当に心が温かく、幸せな気持ちになれるお話でした。

俺の文才でどこまで表現できるかは分かりませんが、一部始終を思い出しながら文章にしてみたいと思います。


なんでも利用者様の出跡におられる弟嫁さんが『お嫁さんや孫嫁さんが私の世話をしてくれて幸せです。』と言っていたそうです。

その言葉にいろいろ感じることがあったらしく、俺への質問が『年をとってから、不自由なく世話してもらえるのと、自分で身の回りのことができるのとどちらが幸せでしょうかね?』とのことでした。

で、俺の回答ですが『う~ん・・・もちろん動けなくなっては面白くはないと思うので、自分で身の回りのことができるのは幸せなことだと思いますけど、不満なく、不自由なく世話をしてもらえるような(お嫁さんとの)人間関係を作れているっていうことも幸せなことだと思いますよね。』とお伝えしました。


この回答にすごく納得されていたようでして、利用者様のお母さんの話になって、亡くなる前は実の娘(利用者様とその姉妹さんです。)で介護しようとのことで交替で実家の方に行っていたそうですが、慣れない介護のために、お母さんは弟嫁さんを頼りにされることが度々あったそうです。

ひと昔前では嫁・姑の関係も現代とはいろいろと違う問題があったらしく、何か関係がこじれそうになったことがあった時に利用者様が弟嫁さんを庇ったことがあったそうで・・・

現代では離婚する人の話をよく聞きますが、あまり違和感がないと言うか、別にそれこそ良く聞く話でそこに疑問であったり、問題を考えたりはしないですよね。

でも弟嫁さんは、離婚して子供を連れて出跡の実家に帰ったとしても、既に家を継いだ兄弟とその子供たちがいる訳で、自分や自分の子供には居場所はない。

もしもそういうことになったら子供と一緒に農薬で自殺しようという、そういう覚悟で嫁がれたそうです。


弟嫁さんの心情としてはそんな覚悟で嫁いだ家で、姑さんとも良い人間関係が築けたし、自分の息子の所に嫁いできてくれたお嫁さん、また、お孫さんの所に嫁いできてくれた孫嫁さんとも良い人間関係が築けた。

もちろん利用者様と弟嫁さんとも・・・

皆、血の繋がりのない他人です。

そんな人たちとそんな人間関係が築ける。

『自分(弟嫁さん)が今幸せに過ごせるのはお姉さん(利用者様)のおかげじゃ。』

といって、自分の自由にお金が動かせるようになってからは毎年必ずお歳暮を下さるそうです。


現代社会では薄れていってしまっている家、嫁姑関係、人間関係。

こんな覚悟で嫁いでいくお嫁さんはどれほどいるのか?

時代が違うと言ってしまえばそれまでかもしれません。


でも幸せなことだと素直に言える人間関係がここには存在している。

本当に心が温まるお話でした。


俺の拙い文章で皆に伝わったかなぁ?

分かりにくければ加筆しますので、もしもよろしければコメントいただければ幸いです。

それではまた。

2009年2月19日木曜日

ご無沙汰しております。

どーも。  心の余裕を語る男。  塩崎です。


毎度のことですが、特に意味はありません・・・

いやー、更新を結構サボってしまいました。

申し訳!


何だろう・・・?

本当に毎日があっという間に過ぎていく感じです。

仕事が終わって帰ったら、ご飯を食べて寝るだけ。

あんまり事件と言うか、ニュースと言うか、身の回りで何も起こってないっす・・・


とりあえず!

今週末は!!

実家に帰ります。


それではまた。

2009年2月10日火曜日

answer blog 『石井先生への想い』

どーも。  昨日、石井先生に紹介されました。  塩崎です。


不肖な人間ながら、石井先生のブログにて紹介していただきました。

本当に嬉しかった。

answer songならぬ、answer blogということで『石井先生への想い』と題して、なぜ俺が石井先生の追っかけをしているのか、俺にとって石井先生とはどんな人なのかを、ありったけの想いを込めて、文章にして書き殴りたいと思う。


まず、石井先生の存在を知ったのは、地元の勉強会の掲示板で旧「石井先生と学生の部屋」のホームページが紹介されていて、このHPの勉強のページを参考にしていますって書き込みがあった。

当時は本当に知識が乏しくて、俺の中で膝OAの理学療法は可動域訓練をしてセッティングなどで関節に負担をかけないように筋力訓練を実施・・・だった。

これでいいのか?いや、これじゃだめだろ・・・

そう思って色々文献などを読んでいる最中、あの勉強の項目に出会った。

そのページに書かれた内容は本当に衝撃的で、この人は患者様の膝を通していったいどんな世界を見ているのだろうと思った。

開運!なんでも鑑定団の中島誠之助さんの口癖「いい仕事してますね」ってやつ。

あれは陶芸に精通している人だから、作品を見てあのセリフが言える。

あのレベルに到達しているからいい仕事が見える訳で・・・

石井先生も患者様の膝を見て、俺には見えていない世界が見えているんだなって。


そう考えると「この人に逢いたい!!逢って話を聞きたい!!」って思うようになって、情報収集が始まった。

HPでの写真だったかな?

関節疾患理学療法研究会でシンポジウムをやってて、講演してるってことが分かって、今度大阪で開催するって情報を入手したんだけど、金銭的な問題や時間的な問題で行けなかった・・・


念願叶って福岡シンポジウムに参加することができた時は本当に嬉しくて、でも400人程の規模で参加してたものだから、個人的に話すことなんてできない。

でも俺は今日、石井先生と話したくてこの会場に来たのに、名刺交換もできずに帰るなんて絶対に後悔する!!って思って、1日目終了後、会場から参加者がみんな帰っていく中、出待ちをしました。

SHINICHIRO's Style-My 2nd Stage-のプロフィールの一番下の写真みたいなホスト風の服装とは裏腹に本当にさわやかな印象でお話ししてくださって、「僕も本籍は愛媛なんですよ。」って。

懇親会がその後あったのか、他のスタッフの人達がすごく忙しそうだったので、「ぜひメールさせていただきます。」と言って、初日はお別れをし、2日目にはシンポジウムの終りに、ロビーで参加者の皆様にありがとうございましたってお礼を言っている最中、俺の顔を見つけて、わざわざそばに来てもらって「ぜひメールしてくださいね。」って言葉をかけて下さったんです。


講演も衝撃的だったし、遊牧民的発想でどこにでも行くと言っていたことが本当にすごいなって思った。

これからもっとこの人の話を聞きたいと思ったし、いつか愛媛に来てもらいたいって考えるようになりました。

それを実現するために発足したのがユアーズ・ケア リハビリテーション研究会ですね。

石井先生のブログにもあった『お風呂のお湯をお箸でかき回すような感じだ』っていうのが今の自分にはなんとなく理解ができる。

愛媛に石井先生が来てくれて、その後、『今度はいつ石井先生呼ぶの?』ってたくさんの人に聞かれたり、昨年の11月のこんぴらいめんと えいじ~ずには愛媛県の同級生たちが参戦するほどの反響があったようだった。


ご存知の人もいると思いますが、27歳にして俺はハゲてしまっています。

実はこれには理由があって、俺は小6(12歳)の時に脳腫瘍(松果体腫)を患った。

米粒ほどの大きさの腫瘍で、場所的に手術は不可能だが、放射線による治療で完治ができるとのこと・・・

当時ガンマナイフが全国に2台ほどの出始めで保険適応ではない。

コバルト治療だと後遺症として髪が抜けますとのこと。

治療の結果、まあ何とか五体満足で完治しましたが、思春期にハゲるというのはかなり心のダメージが大きく、同級生とトラブルになることも多々あった。

髪を失くしたから得たものももちろんあったと思うけど、-と+を天秤に掛けたら-の方が大きかったように思う。


昨年の1月、脳腫瘍の既往があってハゲていることを話した時、石井先生は『それはPTになるために生まれてきたんだよ。』って言ってくれたんです。

本当に嬉しかった。

あの言葉は-に傾いている天秤をかなり+の方向に軌道修正してくれた。


昔から「人生をやり直せるなら」とか「生まれ変わったら」ってことを想像したことが度々あるのだけど、そう考える度に、一生懸命勉強してドクターになりたいって思ってた。

でも石井先生との関わりの中でこの考えは変わりました。

もしも人生をやり直すことができるとしても、生まれ変わったとしても俺はまたPTになって石井先生に出会いたい!


きっとこれから先、PT人生の中で石井先生の存在は切っても切り離せない。

俺のすべては、石井先生から始まった。

こう振り返る日が必ずやってくる。


いつかは石井先生が今、お師匠さんと言っている福井先生と一緒に講演しているようなことを俺もやりたい。

俺がお師匠様と勝手に思っている石井先生といつか一緒の舞台で講演してみたい。

そんな日を夢見て、明日はまた島に行ってきます!!


それではまた。

2009年2月9日月曜日

休日、福岡に行ってきました。

どーも。  兄親子とともに土曜の夜から愛媛⇔福岡間を日帰りしてきました。  塩崎です。


いやー、疲れました。

でもやれるもんなんですね。

愛媛⇔福岡間の日帰り・・・


で、何しに行ってたかと言いますと、ポケモンバトリオってご存知ですか?

その全国大会に参加したいとのことで一緒に来てほしいと言われて行ってきました。

まあ、順番取りとか?

そんなんに使われるのかなって思ってたら、お前も頭数として参加しろ!!

えぇーー!!

ルールも知らんのに!?

ムリムリムリ!!


出発前に軽く実戦に連れて行かれて、11時頃に出発、朝6時半ごろから会場で並んで抽選券を確保して、大会に出てきました。

兄曰く、ある程度勝ちあがれると思うって言ってたんですけど・・・

いやいや、素人ですよ?

無理に決まってますよね。


で、参加したんですが、以外にも3回戦を制し、BEST16に残る快挙!!

続く4回戦で小学生に負けました!!

はいー、そんな結果でした。


ちょっとした証拠写真を撮影してきたのでご紹介!

昨年5月、ここでHACK THE STYLEが開催されましたね。

懐かしいなぁ。


こんな名前のイベントだったようです。

ポケモンバトリオのコーナー。 
 
大会の会場です。


甥っ子の風邪予防対策は万全!!




何かのキャラと一緒に撮影。 
 
何で目線が違う方向やねん。
 
 


こんな感じの福岡日帰り旅行でした。
 
大会で負けて悔し泣きする甥っ子やそんな子供を慰める兄。
 
うーん。
 
親子って素敵ですね。
 
また来年頑張るぞ!って意気込んでました。
 
 
それではまた。