2010年10月31日日曜日

自分にできること・・・

どーも。  またいろいろと考えています。  塩崎です。


先日、小学校の3・4年の時の担任の先生が亡くなられました。

昨日、お線香を上げさせてもらいに、先生のお宅を伺ってきました。

11年寝たきりで他界した祖母と同じように、また何もできなかった・・・


地元で病院とかでPTとして働いていても先生のリハビリはできなかったかもしれない。

病院や家に押し掛けて行って『恩師なんでリハビリをやらせてください!』っていう訳にもいかない・・・

結局ライセンスだけ持ってても自分が自由に働けるフィールドがないと何もできない訳で・・・


そう考えると今の仕事を地元に持ち帰らないと、いけないんじゃないかなって考えています。

宮崎県の東国原知事が「宮崎をどげんかせんといかん」を言って県知事になったその想いがなんか分るような気がするんですよね。

『鬼北をどがいかせないけん』
 
そのために自分にできることは何かを考えていかなきゃいけない。
 
 
先生には少しは社会人らしいとこは見せられたかな?
 
それらしいことができたのはお見舞いを持っていけたことぐらいだな。

 
 
ご冥福をお祈りいたします。
 
できの悪い子供だったので、もしかしたら嫌かもしれないけど、また来世でお会いしましょう。
 
 
それではまた。

2010年10月28日木曜日

中森明菜

どーも。  若干悲しいことがありました。でも頑張っていきたいと思います。  塩崎です。


中森明菜が無期限の音楽活動休止ということらしい。

ちょっと彼女のパチンコ台にハマった時期があったので、個人的に気になる文章だったので見てみました。



明菜は45回目の誕生日だった7月13日、都内で行われたパチンコ新機種「CR中森明菜・歌姫伝説~恋も二度目なら~」の発表会見に登場。

実は、この会見当時、担当医に「我慢も限界に達している。できるだけ安静が必要」と忠告されていたという。だが、明菜は「これだけは頑張りたい」と拒否。
(サンケイスポーツ 10月28日(木)7時51分配信より引用)


う~ん・・・

体調管理も仕事のうち・・・などと言われることもありますが、なんかこの「これだけは頑張りたい。」とファンの前に姿を現した彼女にはプロ意識のようなものを感じてしまいました。

パチンコ新機種にいろいろ想いがあったんでしょうね。


仕事に対する想い・・・

なんか見習わないとなぁ~って思うんですよね。

『これだけは頑張りたい。』

なんか自分には思い当たることがなくって・・・


どの患者さんともベストを尽くすつもりで臨んではいますが、なんかマンネリ化じゃないけど、いつもの日常に慣れっこになってそういう気持ちがないような気がするんですよね。

考えててもしょうがないな・・・

とりあえず目の前の事を頑張ろう。


んじゃまた。

2010年10月25日月曜日

湯田先生を追っかける旅2

どーも。  旅に出過ぎてどこが家なのか分りません。  塩崎です。


またSENSTYLEの講習会に行ってきました。

若干ウザいって思われているかも知れません・・・


山嵜勉先生と湯田健二先生のコラボに参加してきました。

4月にも香川のCompiralignment Age’sでの講習会にも参加してきたんですけど、なかなか理解ができなくて、もう一回聞きたい!!と思って行ってきちゃいました。

湯田先生とは先週のDiscover the Pelvis-Level1-コースでもご一緒させていただいたので、2週も追っかけしちゃった訳です。


んで、なんで『旅2』かというと『旅1』は今年の4月に終了しています。

香川での講習会に、座間味ダイビング合宿、横浜での講習会と4月のうちに3週も追っかけしてきました。

あの頃は4~6月くらいにかけて精神的に病んでたんでブログが書けなかったんですよね。


湯田先生とは昨年10月のSENSTYLEで同じ舞台に立たせていただいた時からのお知り合いです。

あれから1年、またSENSTYLEの場で湯田先生のお話を聞くことができてすごく嬉しかったです。

湯田先生のお話が以前よりも理解できて、1年前に比べて自分のレベルもそれなりに上がっているみたいでした。


先週も湯田先生と飲み会でいろいろとお話をさせてもらって、自分のこれからのPT人生の刺激になりました。

またいろいろお話したいっすね。

臨床の事だけじゃなくって、臨床の裏側にある色んな想いも聞かせてもらいたい。

そんな人間味あふれる素晴らしい人です。


そんな湯田先生がブログを始められたらしいです。

http://ameblo.jp/1126yudaken/

無許可ですけど、多分講習会の資料にURLを乗っけてたくらいだから問題ないんじゃないかな?


みなさんも湯田先生の臨床の裏側の想いに触れてみてください。


それではまた。

2010年10月18日月曜日

田舎者の反省・・・

どーも。  昨日は田舎者の醜態をさらしてしまいました。  塩崎です。


昨日、文京学院大学からの帰り、湯田先生と由理ちゃんと鳥海先生(漢字あってるかな?)と途中までの駅まで一緒に帰ることに・・・

で、池袋駅にてまた切符を買わなくちゃ・・・(Suika?で良かったっけ?はもってないから・・・)と、みんなに迷惑をかけないように素早く行動だ!!と思って単独行動に出ました。

その結果、みんなを見失うことに・・・


完全にパニックになって、みんな山手線に乗るわけじゃないのに、みんな電車に乗った!?と思って迷わず山手線の方向にダッシュしちゃいました・・・

はぁぁーー・・・

別れ際にちゃんとみんなにご挨拶ができず、悲しい別れになっちゃいました。


田舎者は辛いな。

正しい判断ができなかった・・・

やっぱり東京で行動するときはsuikaを使わなきゃダメかなー。
 
 
みんな、ごめん・・・


別れ際にはちゃんと言葉を交わしたかった男の悩みでした。


それじゃまた。

2010年10月17日日曜日

福井先生を追っかける旅

どーも。  只今帰ってきました。  塩崎です。


この3週間は文京学院大学の福井勉先生を追いかける旅だった・・・

まずは今月の初めにあった、愛媛の全国研修会に始まり、先週のSENSTYLEの研修会、そして今週末の文京学院大学で沙開催されたDiscover the Pelvis-Level1-コース。


『ケツの穴』といえば福井先生の代名詞とでもいうべき言葉ですが、今回はまさに福井先生のケツの穴のでかさを知る旅でした。

愛媛では数年ぶりにお会いできて、講演の壇上から俺に笑顔を送ってくださっていたらしく、(まさか俺にそんな・・・と思って気付けなかったんですけどね・・・)翌週のSENSTYLEでは熱く握手をしていただきました。

今週は飲み会の席で蹴りを入れてもらえるようになりました。


もう福井先生と言えばビッグネームですが、そんな存在の方が俺のような大したことない人間に、先生の方から熱く握手をしてくださるなんて、本当に嬉しくて、福井先生のケツの穴のでかさを感じました!!

昨日は冗談で蹴りを入れてくださるなんて、そんな人間関係ができたんだなって思うとこれもまた、嬉しかったです。


そういえば美和子先生が福井先生の冗談にグーパンチで返すなんて一場面もあり、それも人間関係が成立しているからこそですよね。

そう考えるとやっぱり福井先生の蹴りはありがたいものなんじゃないかと思う訳です。(決してMではありません。)

てか美和子先生はグーパンチができるキャラの持ち主だったんだー!!って発見した感動がありました。

俺もいつか美和子先生にグーパンチしてもらおうっと!!


でもやっぱりあんな大師匠なのに、下の人間に自分から微笑みかけたり、握手できるという、下からの姿勢が福井先生のケツの穴のでかさなんだと痛感した3週間でした。

俺もそんなケツの穴のでかさを、改め、人間性の大きさを身につけたいものです。


それではまた。

2010年10月3日日曜日

朝青龍

どーも。  全研の後、ゴロゴロして過ごしました。  塩崎です。


朝青竜の引退の断髪式があったらしい。


Web上に出ていた産経新聞の記事によると・・・

「ともにモンゴルから来た朝赤龍関の時は思いが深くなった。相撲人生の目標だった千代の富士関(現九重親方)も来てくれた。ありがたい」

生まれ変わったら何になりたいか
 「大和魂を持った日本人として横綱になりたかった」

史上最多の優勝32回を超えたかったか 
 「達成していないから口に出すものではないが、それが何よりの目標だった」


というような文面が俺の心に残りました。

引退間際にはいろいろと事件がありましたよね。

その時の朝青竜の印象は『日本人らしくない・・・』でした。

まさに朝青竜の言葉を借りると『大和魂をもった』力士ではないという印象。


ボクサーがリングの外で人を殴ったら、その拳は凶器とみなされて逮捕されると聞いたことがあります(漫画でね・・・)が、やはり格闘家や力士などもそういった側面ってあると思うんですよね。

そんな人がそれらしくない行動がすごく目立ったように感じていました。


モンゴルという育った環境の問題なのか?

日本での生活の中で大和魂は育たなかったのか?

親方はどんな指導をしていたのか?


個人的にいろいろと朝青竜に対してネガティブな印象を持っていましたが、
日本の大横綱の千代の富士関を相撲人生の目標としていたことや、
大和魂を持った日本人として横綱になりたかったとか、
史上最多の優勝32回を超えたかったことが何よりの目標だったと発言していたことは、
日本の国技である相撲に本物の情熱を持っていたことの証だったんじゃないかと思いました。

たとえ日本人ではなくても、力士として、日本の横綱を目標にして頑張って、また後輩たちに目標にしてもらえるように大記録に挑みたかったんじゃないかな?と感じました。

もしかしたら朝青竜に大和魂と言えるような人間性があったら、あんな事件を起こさずに現在も大記録に挑み続けることができていたかもしれない。


当然、自分にも目標としている人がいるし、将来は目標としてもらえるようなPTになりたいと思っています。

心技体という言葉がありますが、心(人間性)が優れてなければ研鑽し続けることもできないかもしれない。

なんとなくそう思った今日この頃です。


理学療法士としての大和魂とでも言うべき人間性は、患者様やご家族様にも認めていただかなければいけないし、同業者にも認めていただかないといけない。

なかなか深いテーマだな・・・


ほなまた。