2010年10月3日日曜日

朝青龍

どーも。  全研の後、ゴロゴロして過ごしました。  塩崎です。


朝青竜の引退の断髪式があったらしい。


Web上に出ていた産経新聞の記事によると・・・

「ともにモンゴルから来た朝赤龍関の時は思いが深くなった。相撲人生の目標だった千代の富士関(現九重親方)も来てくれた。ありがたい」

生まれ変わったら何になりたいか
 「大和魂を持った日本人として横綱になりたかった」

史上最多の優勝32回を超えたかったか 
 「達成していないから口に出すものではないが、それが何よりの目標だった」


というような文面が俺の心に残りました。

引退間際にはいろいろと事件がありましたよね。

その時の朝青竜の印象は『日本人らしくない・・・』でした。

まさに朝青竜の言葉を借りると『大和魂をもった』力士ではないという印象。


ボクサーがリングの外で人を殴ったら、その拳は凶器とみなされて逮捕されると聞いたことがあります(漫画でね・・・)が、やはり格闘家や力士などもそういった側面ってあると思うんですよね。

そんな人がそれらしくない行動がすごく目立ったように感じていました。


モンゴルという育った環境の問題なのか?

日本での生活の中で大和魂は育たなかったのか?

親方はどんな指導をしていたのか?


個人的にいろいろと朝青竜に対してネガティブな印象を持っていましたが、
日本の大横綱の千代の富士関を相撲人生の目標としていたことや、
大和魂を持った日本人として横綱になりたかったとか、
史上最多の優勝32回を超えたかったことが何よりの目標だったと発言していたことは、
日本の国技である相撲に本物の情熱を持っていたことの証だったんじゃないかと思いました。

たとえ日本人ではなくても、力士として、日本の横綱を目標にして頑張って、また後輩たちに目標にしてもらえるように大記録に挑みたかったんじゃないかな?と感じました。

もしかしたら朝青竜に大和魂と言えるような人間性があったら、あんな事件を起こさずに現在も大記録に挑み続けることができていたかもしれない。


当然、自分にも目標としている人がいるし、将来は目標としてもらえるようなPTになりたいと思っています。

心技体という言葉がありますが、心(人間性)が優れてなければ研鑽し続けることもできないかもしれない。

なんとなくそう思った今日この頃です。


理学療法士としての大和魂とでも言うべき人間性は、患者様やご家族様にも認めていただかなければいけないし、同業者にも認めていただかないといけない。

なかなか深いテーマだな・・・


ほなまた。

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