2011年11月20日日曜日

言葉ってすげーな。

どーも。  ちょっと嬉しいことがありました。  塩崎です。


友達に誘われて数年前に始めたGREEなんですが、そこで先日、とある方からメールをいただきました。

この方はどこで生活していて、どこの学校に通っていて、どこで実習をしているのかも全く分からないのですが、OTの学生さんで、臨床実習の途中だったようです。

参加しているコミュニティーに実習中の悩みを書き込みされていて、かなりテンパっている様子で、評価をする上で「何を質問していいか分らない・・・」というような内容だったかと思います。


俺っておせっかいな性格なんでしょうかね?

自分も学生時代は実習で辛い経験をしたことがあるからか、なんとなく放っておけなくって、俺でよければ相談に乗りますよ的なやり取りをしました。


俺がどんな言葉を送ったかは残っていたので、抜粋すると・・・


「実習生なんだから、できなくって当たり前です。

それでも少しずつ吸収する姿勢、分らないことを明確にして、解決する努力を頑張ってください。


評価をするなら、何のために、どういった目的でその評価をするのか?

要は必要性をいかに説明出来るか?

また、実際に姿勢はどういう風にして実践するのか?

どの様な結果が予測されるか?

シミュレーションも合わせてやっておくと良いと思います。

そうしておくと質問されたり、実際の場面において、あまり慌てずに出来ると思いますよ。

あまり難しく考えずに、自分はこう思ってます。というのを伝えてみてください。」


う~ん・・・

偽善者が大層なことを言ったもんですわ(笑)

記憶があいまいですが、当時自分も学生指導を担当していたのではないかと思います。

その時にちょうどそのようなことを指導していたような記憶がありますね。


んで、その方から先日送られてきたメールを一部抜粋しますと・・・


『無事すべての実習が終了して残るは国試のみとなりました。

あの時、塩崎さん(本当はハンドルネームなんだけど・・・)にアドバイスを頂けてなければOTになることも諦めていたと思います。

本当にありがとうございました。』


そんなメールをもらえた時、本当は相談に乗ったことなんか忘れていたんだけど・・・

俺ができたことは冷静になれるように、ちょっとだけ背中を押してあげただけなのかもしれないけど・・・

それでも自分の言葉が、人に夢をあきらめずに、もう一度頑張る気持ちを与えることができたのかな?と思うと本当に嬉しかった。


この方が実習をやり遂げられたのは、この方の実力なんですが、それでもこんな感謝のメールをもらえるくらい、影響を与えることができてたのかな?

そう考えると言葉の与える力ってすげーな。って思った次第です。


ちゃんと自信を持って、自分の考えとか、知識が伝えられるように勉強しとかないといけないなーとも思いました。

嘘や間違いを教えてもいけないですもんね。


それではまた。

2011年10月24日月曜日

仕事冥利に尽きる。

どーも。  最近寝落ちしてばかり・・・  塩崎です。


ちょっと個人情報の兼ね合いもあるので、今回の内容はある程度オブラートに包んで文章にしますのでご了承ください。

昨日、深部脳刺激療法(DBS)を受けるために他県の病院に入院されたので、その方のリハビリを見学させてもらいに行ってきました。

在宅というフィールドで仕事をしていてつくづく思うのですが、急性期や回復期でどのような治療が行われていたのか?

そこが理解できていないと、在宅でのフォローってなかなか自信を持ってできないということを感じています。


今回のDBSも2000年に保険適応になったという比較的最近になって行われるようになった手術らしいです。

という訳でその手術を受けた症例を担当したこともなければ、話を聞いたこともない・・・

んじゃ、実際にリハの様子を見てみなきゃ、退院後のフォローなんてできる訳ないだろ!!ってことで見学に行ってきた訳です。


本当に偶然ですが、そちらの病院で担当されていたPTの方が、石井先生の講習会をきっかけにしてお知り合いになった方でした。

石井先生との縁がきっかけで、同じ患者さんを見て、情報を共有することができるというのは、仕事冥利に尽きるというか、こんな縁につながるなんて、本当に嬉しい事でした!!

そちらの病院ではDBSを受ける目的で関東や九州からも患者さんがやってくる病院らしいのですが、なかなかリハビリを見学に来るというセラピストはいないらしく・・・

でも病院に連絡をとって、見学に来るっていうのが塩崎さんらしいなぁって思いました。と言ってもらえたのがなんか嬉しかったですね。


改めて自分らしさって何か?

なかなか明確な答えはでないものですが、自分の仕事に対するスタンスというか、行動派な自分の一面をそういう風に見てもらえているのは本当にありがたいことです。


これからもきっと他に新しい治療法なんかが当たり前のように出てくるんだと思うんですけど・・・

例えば脊髄損傷の再生医療とか・・・

我々の仕事は、ちょっとだけ、その人の人生を支える仕事ですから、知らない、わからないでは済まされない。

ましてや自信がない状態で仕事をするのは許されない・・・

もちろん、今できてる仕事がこれ以上ないものとは思ってないので、まだまだ満足もできてなければ、絶対的な自信がある訳ではないですが・・・

100点は取れなくても、少しでも100点に近づける努力をしないといけない。


ちょっと話がズレてきましたが・・・

とにかく、実りのある、自分らしさを人に褒めてもらえた嬉しい日曜日でした。


それじゃまた。

2011年10月2日日曜日

氷室京介東日本大震災復興支援チャリティライブ

どーも。  タイトルと俺は全く関係ない。  塩崎です。


 6月11、12日の2日間にわたって東京ドームで行われた氷室京介東日本大震災復興支援チャリティライブの収益金6億7000万円が岩手、宮城、福島の三県に均等に配分して寄付された。というニュースがちょっと前にあったのをご存知でしょうか?

 このライブは、全曲BOOWYの楽曲で構成され、東京ドームで1日5万5000人、2日間で約11万人を動員した、チャリティーライブとしては国内史上最大規模となったというものです。

当初、1日のみのライブだったのが、6万人に対して、30万人もの応募が集まり、急きょ2日の予定に変更したという記事も読みました。


20年以上も前に作られた楽曲で構成されたライブ、中には解散以降歌うことのなかった楽曲を約23年ぶりに披露したとか・・・

今回のコンサートが終わって、一部ですが本人が次のようなメッセージを送っています。

「コンサートグッズの収益を合わせ、669,220,940円という金額を集める事が出来ました。企画を構築してくれたオンザラインをはじめ、参加してくれた全てのスタッフ、そして駆けつけてくれたオーディエンス、それぞれの気持ちが見事に結実した成果だと思います。この場をお借りして、皆さんに感謝の意を述べさせて頂きます。」


20年以上も前の楽曲が、現代においてこのような評価を受けるということはなかなかないことでしょう。

例えるならば、天野喜孝の20年以上も前に描かれて、完売した作品で個展が開かれるようなもの・・・

もっとわかりやすく言うなら、鑑定団で番組で本物と鑑定され、何10万円も何100万円もするような作品が総動員して展示と販売をしているような感じでしょうか?

(伝わらねーかな・・・この表現)


この楽曲を作って、そんな規模の事をやってのけて、あんな謙虚なメッセージ。

全くBOØWYのファンでもないんですけど、氷室京介という人間がどんなにすごい人間か、が伝わるような気がします。


芸術の分野では過去の作品、そのものが現代でこのような評価をうけることはあっても、我々の業界では常に最新の情報が求められるので同じようなことはないでしょう。

20年以上も前の論文だけで何らかのプレゼンを作っても、新しい情報に書き変わっているかも知れない・・・

もちろん、過去の業績があってこそ、最新の情報や技術があることを忘れてはならないですが・・・


彼ももちろん、今回の楽曲を作った頃には、現代においてこのような評価を受けるとは思ってもいなかったでしょう。

過去の事がそのままの形で評価されるということはなくても、今やってることが何らかの別の形で実を結ぶことはあるかもしれない。


氷室京介のような偉業は俺には達成できないでしょうが、いつかはチャリティーで講演とかしてみたいもんですね。

アーティストがチャリティーライブをやるように・・・

プロのスポーツ選手がチャリティーゲームをやるように・・・

講師料はいらねぇ!!って言って、タダで壇上に立って、収益は全部寄付できるような・・・


ニュースで見ただけでしたが、今回のチャリティーライブの報道には色々と感じるものがありました。

全くライブにも行ってないような、ファンでもない人間ですが、人を魅せる力を彼に感じましたね。

ちょっとだけでも、自分もそんな人間になれたらいいなぁ。


それではまた。

2011年9月23日金曜日

今、気がついた・・・

どーも。  俺はかなり鈍感野郎・・・   塩崎です。


実は7月の半ば頃に携帯電話を水没させてしまいました・・・

そんな訳でここ2~3年内に携帯のアドレスを交換させていただきました皆様のアドレスがわからなくなりました・・・


台風の被害のニュースで名古屋がひどい・・・ってニュースをやってた時に、座間味のダイビング合宿で知り合ったやよいちゃんと井上先生は無事かな?連絡取ってみようかな?って思ったら、アドレスが消滅していることに気が付きました・・・


このブログを見たら、お手数ですが、塩崎の携帯までご連絡いただけますでしょうか?

よろしくお願いいたします。


とか書いて、誰も連絡なかったら悲しいっすね・・・


それではまた。

2011年9月18日日曜日

ちょっとだけ決意

どーも。  またブログサボってました。  塩崎です。


あれですわ。

ブログを書こう!!!って思ったら、電源が切れますねん。

そしたら書く気めっちゃ無くなるんです。

って言い訳したところで・・・


最近ちょっといろいろと思うことがありました。

というのが・・・ちょっとだけまじめな仕事の話。


新規の利用者様の退院サマリーの記録・・・

人工膝関節置換術後、回復期リハビリテーション病棟に転院し、退院後の、「膝関節屈曲105~110°、伸展ー5°、屋外歩行はT-caneを使用して自立」という内容・・・

おそらく、長期実習に出るという学生ならば当たり前に知っているはずの、TKA術後の膝関節屈曲の参考可動域は120°という数字。

最近では術後3週間で杖歩行が自立となって退院し、外来でフォローするような病院もある・・・という現実。


果たして、この回復期リハビリテーション病棟を退院した後のこのサマリーに書かれてある内容は、手術を終えて、在宅に帰る患者様、利用者様の想いに応えることはできたと言えるのか?

ぶっちゃけ、俺は学生時代に術前、術直後のリハビリをバイザーと一緒に担当させていただく機会を得ただけで、急性期や回復期のTKAのリハビリは経験したことはありません。

だから、その現場での本当の苦労とか、大変なことは、俺自身、正直わからないことも知らないこともまだまだたくさんあるんでしょう。

でも、これまでに色々と勉強してきた中で、確実にこのサマリーの内容では、『患者様の想いに応えることはできていない・・・』と断言できるだけの知識を身につけることはできました。

そんな記録が、俺の手元に当たり前に送られてくる現実があるんです。


勉強して、知識を身につけて、術後の在宅ケアにあたって、まだまだ残されている利用者様の問題点に気づくことができるようになったし、自信を持って批判もできるようになりました。

でもそれじゃダメなんですよね。

批判したところで何も変わらない。

自分だけが問題点に気づけて、治療ができたとしても、俺自身が担当できるのは数例だけなんです。

年間、全国でおおよそ70,000件と実施されているTKAの手術の数に全然足りない。


まー、俺1人が70,000件もの術後のリハビリを担当するなんてことはあるわけないんだけど・・・

もちろん俺の知識と技術ではトップクラスのリハビリには程遠く、まだまだすぐに何かができる訳ではないんだけど・・・

でもこの現状は絶対に変えなきゃいけない。

よく社長が言ってること、「人に伝えることができて初めて学んだと言える。」ということ。


これから、もっともっと学んで、自分の学んだことを他のたくさんの人に伝えられるということをしていかないといけない。

自分が学んで、自己満足で終わってちゃいけない・・・とちょっとだけ決意をした今日この頃です。


それではまた。

2011年8月29日月曜日

理想

どーも。  今日も遅くまで仕事でした。  塩崎です。


週末は金曜の深夜から夜行バスに乗って大阪へ。

SENSTYLE主催の膝の講習会に参加してきました。


貧乏旅行だったので、宿泊費のいらない形で、深夜に乗って、朝目覚めると大阪・・・という流れだったんですが・・・

やっぱり駄目ですね。

夜行バスだと全然眠れなくて、講習会で途中意識が何度もなくなりました・・・

前日入りして、コンディションを整えていかないと、何のために参加したんだかわからなくなります。


講習会で知識を仕入れては臨床に持ち帰り、また新たな臨床での疑問を持って、講習会に参加する。

新しい情報や知識もあるんだけど、以前習った内容に、改めてビビビッと感性を揺さぶられることもあるんですよね。

『あー!!だからこれって大事なんだ!!』ってね。

当時、その意味合いを十分に理解できなかったことが、今回になって理解できることもあるので、やっぱり俺みたいなタイプは勉強したつもり、理解したつもり、になってちゃだめなんですよね。


今回、一番心に残ったのは、嶋田 誠一郎先生の症例報告でした。

自分の症例を報告して、その人の事を思いだして涙できるってのはなかなかないことです。


「この手術(TKA)はその人を幸せにする。」

だったかな?


俺も学生時代にTKAの術前の症例を担当させてもらったことをきっかけに、TKAは俺にとっても思い入れの深い分野になっている。

そんな俺にとっての嶋田先生のこの言葉は、俺のTKAに対する想いの理想系だと思った。

俺もそんな臨床感を伝えられることができるような、「手術して良かった!幸せだ!!」と思ってもらえるようなセラピーができる人間になりたいものです。


道のりはまだまだ遠いなぁ。


それではまた。

2011年8月7日日曜日

再度、近況報告

どーも。  またサボっていました。  塩崎です。

最近パソコンが限界に近いようで、熱を持つとシャットダウンしてしまうという症状が出るようになり、あまりパソコンの前に座って文章を考える・・・ということから離れてしまっています。

でも、友人を通じて「最近アイツはブログを更新してないが、何をやっているんだ?こっちは更新されるのを楽しみにしているのに・・・」という話をいただきまして、これはサボってはいられないと思った次第であります。


最近、時間の進むペースが速いような、周りの環境の変化についていけてないような・・・

なんかそんな感じを受けています。

いや、むしろ自分がダラダラと生活しているだけかもしんない・・・


最近同年代の方と食事をした時の話・・・

自分の人生の目標とか、これからどういう風になりたいと自分が思っているか・・・

仕事に対する考え方とか、色々と話す機会があって、その人からは「それだけ考えているってことは人生の転機が間近に来ているんじゃないか?」と言われました。

そうなのかな?とあまりピンとはきてないけど、ただこのままダラダラと生活しているだけでは何も変わらない。

自分の考えを実現できるように、これからどう行動していくべきか・・・

ちゃんと考えなさいよ、と背中を押されたような気持ちになりました。


今年も後5ヵ月を切りましたね。

来年の1月には俺も30歳になるんだな・・・

全然実感がわかないけど、でもやりたいことはハッキリしている。

口だけにならないように頑張ろっと。

更新もサボらないように気をつけます


そんじゃまた。

2011年5月12日木曜日

近況報告

どーも。  今日も離島から帰ってきました。  塩崎です。


空白の3ヶ月の内容を少しご報告します。

俺が入社して以来、訪問させていただいていた利用者様がお亡くなりになりました。

入社以来なので、およそ6年のお付き合いになりました。


人と人との出会いと別れは本当にいつも突然にやってきますね。

『また来週おじゃましますので、よろしくお願いします。』

と言ってその人の家を後にして、週末に脳梗塞でお亡くなりになられたそうです。


しばらくしてから、家にご挨拶にお伺いしました。

ご家族である息子様から「塩崎さんには本当の良くしていただいて、お世話になりました。ありがとうございました。」とお言葉をいただきました。

俺の理学療法士としての関わりがそんな風に評価していただけたことが本当に嬉しく、返す言葉が見つかりませんでした。

最後に『〇〇さんの人生に最後まで関わらせていただくことができて、僕も本当に嬉しく思います。本当にありがとうございました。』とご挨拶をしてお別れしました。



誰かの人生を支えること・・・

口にするのはたやすいけど、それを行動にすることはこんなにも難しく、大変なことなんですよね。

この方の人生を通して、自分の仕事の責任の重さを教えていただいたような気がします。


だから俺は、自己を研鑽し続けよう。

臨床は結果が全てで、常に真剣勝負が求められる。

ドラマ コードブルーで聞いた言葉

『そのわずかな時間が時に人生の意味を変える。そのために腕を磨く。』

自分の足で立ったり、歩いたり、自分の手で何かができる・・・

ほんの些細なことでもそれがその人の人生の意味を変えるかもしれない。


それをずっと忘れずにいよう。



それではまた。

2011年5月8日日曜日

申し訳ありません。

どーも。  かなりブログの更新をサボってました。  塩崎です。


思えば2月から、慌ただしい日々を過ごしておりました。

なんとなく気持ちに余裕のない日々だったように記憶しています。


近況はと言いますと、最近は臨床実習の指導にあたっています。

実習の指導って本当に自問自答の毎日です。


・理学療法士としての仕事の面白さ、素晴らしさを伝えること。

・その人、その人の課題を浮き彫りにして、次の実習に備えるように経験値を積んでもらうこと。


とりあえず、この辺りを前提に指導させてもらっているつもりなんですが、上手く伝えられているかどうか・・・

自分で理解していることとそれを人に伝えることは全く違うことなんで、この辺りが指導者としての力量が問われるところなんだと思います。

手を抜こうと思えばいくらでも抜けるし、もう帰れ!といって不合格にすることも簡単にできます。

でもそれこそ、指導者失格です。

どうやったら物事を理解して、思考し、課題を遂行していけるか?

それを考えてマネージメントすることが指導者には問われるなと、痛感させられます。


学生の質が低くなっている・・・というお話をよく耳にしますが、はたして指導者はどうなんでしょう?

学校側はもしかすると指導者の質も低くなってる・・・と思っておられるのかもしれません。


前の実習先で適当な指導をされたから、こちらの実習では不合格になった・・・なんて誰かに言われたりしないように、しっかりと指導できるように頑張りたいものです。


すげー、脳みそを疲弊させますが、とにかく頑張りますよ!!


それではまた。

2011年1月30日日曜日

感謝!!

どーも。  またちょっと気持ちのエンジンがかからず、停滞気味になってます。  塩崎です。


30日(日)は地元、愛媛で開催された勉強会に参加してきました。

その勉強会は母校の教務にいらっしゃる先生がスタッフをしておられる会なんです。

久々にお会いして、色々お話をしているとこのブログを見てくださっているとのことで・・・

『塩崎君、頑張っとるみたいやない!』と言ってもらえました。

別にブログを書いています!!と宣伝したこともないのに、俺の事なんかを気にかけてこのブログをみてくださっていて、そんな風に評価してくださるのがすごく嬉しかったです。


まだまだ、自分の中では足りないものがいっぱいあって、それを1つ1つ埋める努力に追われているような感じがしますし、まだまだ自分の仕事には納得なんてできていない訳で・・・

やるべきことはたくさんあるんです。

それでも頑張ってると認めてもらえるのって嬉しいですね。


なんか、今日は本当にこのブログを見てくださって、一喜一憂してくださる皆様に感謝です。

本当にありがとうございます。

ますます精進していきたいと願う今日この頃です。


それではまた。

2011年1月18日火曜日

先輩と後輩

どーも。  最近慌ただしい毎日が続いています。  塩崎です。


今日、後輩が体調を崩してお休みしたらしい・・・(というか仕事が終わってから知った訳で・・・)

「迷惑をかけてすみませんでした。」というメールが仕事が終わってから送られてきました。

いや、別に迷惑してないので謝られても・・・


と思っていたら、帰る間際に今日中に受け取らないといけないものがあったことに気がついて連絡をすることに・・・

『体調悪いところ、申し訳ないけど〇〇を受け取りに行っていいか?』と打ち合わせをすると、なーんか「ほんとにすみません。」となんども平謝り。

ぶっちゃけ物を受け取りに行くくらい大したことじゃないし、迷惑には思ってない。

それどころか体調悪いのにゆっくり休ませてあげられないのが申し訳ないくらいな訳で・・・


でも失敗した時に期待したいことは言葉で平謝りすることなんかじゃないんですよ。

謝るのは簡単だし、こんな時だけ「すいません。」って言われるだけじゃ本当に反省してるのか?って思ってしまう場合だってあります。

謝ればそのミスが帳消しになるって訳ではないんですよ。

まず行動に移してほしいことは『次に会った時には元気な笑顔が見せられるように早く体調を回復させてほしい。』ということ。

謝るのはその後でもできる。

むしろその後にもちゃんと顔を合わせて謝ってくれる方が『本当に反省してるんだなー。』って受け取れる。

そして「迷惑をかけた」って素直に思ってくれてるんだから、次はその失敗を取り返せるように一生懸命頑張る姿を見せて欲しい。

それが俺が後輩に求めることです。


たとえ体調を崩して、業務に穴をあけることになったとしても、俺がその分を動くことでお客様にご迷惑をおかけすることなく仕事ができるのならいくらでも動いてやる。

そのために自分が行動することが迷惑だなんて思わない。

逆にそれが俺が先輩として後輩のためにできることです。


誰かが抜けても機能する。それが真のチームだ。

って医龍3で朝田龍太郎が言ってましたよね。


なんか自分の仕事のスタンスってそんな感じだなーって思ったので、ちょっと今日はこんなネタを文章にしてみました。

頑張れ後輩!!

いいやん。

人間だもの。

体調を崩すことだってあるさ。


てかこんなことを書いてしまった以上、自分が体調を崩した時に、ちゃんと先輩として恥じない行動がどんなものか問われますね・・・

やべぇ・・・


それではまた。

2011年1月14日金曜日

Happy Birthday

どーも。  今日で29歳になりました。  塩崎です。


早くも20代が終わろうとしています。

あと1年です。


20代の初めに思い描いた理想とはまったく違っているけど、そんなに悪い20代ではないかな。

あと1年をどう過ごせるかでまた感じ方が変わるんでしょうね。


この10数年、いろいろなものを積み重ねてきた気がします。

より良く変わっていけるように頑張らなきゃ・・・

良い30代がスタートできるように、スタートラインに立つ準備をしなきゃいけない。


頑張りますよ!!


そんじゃまた。

2011年1月7日金曜日

勝てるケンカはしない。

どーも。  久々にちょっとビビビッときました。  塩崎です。


最近、とあるテレビに芸能界のご意見番、和田アキ子さんが出ていました。

話題が新人歌手の頃に先輩にいじめを受けていたというお話。

Wikipediaのエピソード、デビュー前・当初の欄にもいじめを受けていたエピソードが出ていますが、その時の具体的な内容で、それを聞いた司会が『ケンカにはならなかったんですか?』と聞くと和田アキ子さんは『ケンカしたら勝ってまうやんけ(笑)』と答えていて、だからこそケンカはせずに耐えたし、自分が同じ立場になった時には後輩には同じことはせんとこうと思ったというような話をしていました。


ケンカしたら勝ってしまう=(からこそ)勝てるケンカはしない。

ゴッドねぇちゃん和田アキ子がケンカしないんです。

彼女のイメージだとしそうですよね?

でもケンカしないんです。

つまり、勝てるケンカをしてもしょうがないから、その事実に気づく事が出来れば、その人とは全く違う行動がとれる訳です。


結構、理不尽な話って身の回りにつきないものですよね。

私事ですが先日、自分の身近にもありました。

少しオブラートに包みますが・・・

自分にも情報をちゃんと把握しておく必要性はあったんだけど、相手がちゃんと伝わるように情報を発信できていたか?その後に情報が伝わったかどうか、結果に対してチェックを怠っていなかったか?

お互いの立場や状況がそれぞれにありますが、どちらに責任の重きがあるのか?

でもそれは別にしてお互いが、自分たちの改善すべきポイントを押さえておいて、次の行動の変えられたらいいんです。

なのに人のせいにする人って結構多いんですよね・・・


しかし、その発言に対して『お前が悪いんだろ!?』ってケンカをしてはいけないんです。

相手はそのような発想しか持てないんですから、そういう風に受け止めて自分はさらに行動を変えていかなきゃいけない。

そういう発想が持てれば結構ストレスを感じずに日常を過ごしていける気がしています。


和田アキ子の『ケンカしたら勝ってまうやんけ?』

名言やな~。

結構、自分の中で感じるものが大きかったですね(笑)


それではまた。

2011年1月3日月曜日

ずっと好きだった

どーも。  新年明けましておめでとうございます。  塩崎です。



本当にマッタリとした正月休みでした。


年末年始には友人数名と会っていろいろと話をしたり、飲み会を開いたりして・・・


なんか友人の妙なキャスティングに巻き込まれたりして・・・



何が妙かと言うと・・・


高校生の時、(もう10年以上前ですね。)片想いしていた人と同じ飲み会の席を設けてもらうことになったんです。


高校出てからは成人式と5年くらい前に他の友人が店長をしていたうどん屋さんで偶然出くわした時の2回くらい、会ったというかすれ違ったというか・・・


全く会話はなかったんだけど・・・


だからちゃんと顔をつきあわせて話をしたのは10年以上ぶりの話。



当時、告白しようとしたけど避けられた感じで高校を卒業して、その後結婚したということだったので、なんか自分の中で接触を避けてたんですよね。


なんか年末に変な流れで集まることになったんですけど・・・


自分の中で避けてたから、会うのが妙に恥ずかしかったんです。



でも別に付き合ってた訳ではないし、片想いで自分だけ恥ずかしくて、向こうは別に何とも思ってなくって、後ろめたい気持ちがお互いにある訳ではないし、いざ飲み会に来て会うって分ったら、変に避けたりするよりはちゃんと話ができる方が良いなって思ったんですよね。


当時のように照れ隠しで嘘を言ったり、本音を隠したりするようなことはしたくないなって。


だから改めていろいろと考えたり、気持ちの整理をしたんです。



当時は本当に大好きで、夜寝る前に目を閉じると絶対頭の中に浮かんできてて、だから1日1回は必ず彼女の事を考えていたんですよね。


高校を卒業してから10年、他の人を好きになったりもしたけど、あんなに誰かを好きになったことはなかったなーって思ったんです。


そう思うと、また誰かをあんな風に好きになれたらいいなーって思ってて・・・




友人を交えていろいろ話をしていたら、リハをするような展開になったりして・・・

写真は関節をキメて肘を折ろうとしています(笑)


もう3児の母なんですけど、まだ仕事もしていて、仕事に一生懸命な感じがすごく伝わってくるし、ちょっとしたことなんですけど、いろいろと気遣いもできる子で、深夜の雪山の帰り道には「送ってくれてありがとう。気をつけて帰ってね。」と言ってくれたりして。


あー、こんなに一生懸命で、周りや他人を気遣ったりできて、裏表のない感じで明るい天真爛漫な子だったから、俺はこの子を好きになったんだなーって思いました。


俺の人生において『良い女』を代名するかのような存在に思えました。


自分の10年以上前の片想いが自分の恋愛観や価値観にこんなにも大きな影響を与えていて、その子の悩みに理学療法士として応えられる自分がいたりして、自分のプラスをたくさん与えてくれた存在なんだって思うことができました。


俺にとって斉藤和義の『ずっと好きだった』がピッタリくるような想い。


当時と気持ちの大きさは違えど、好きという想いに変わりはなくて・・・
でも旦那から奪ってやるとか、羨む気持ちはないし、これから良い(年賀状とかお祝いとかのやり取りをするような)人間関係を作っていこうとも思ってはいないけど、幸せになってほしいし、困っていて俺が力になれるようなことがあれば助けてあげたいと思う。



そのために俺ができること。


とりあえず『頼りになる』って思ってもらえるような力を身につけることと、気軽に相談しやすいような存在(敷居の高くない、銭湯のような感じ?)になることかな。



まだまだ課題が多くて大変だけど、やれることはいっぱいありそうだな。



とりあえず2011年、やるべきことが山積みです。


また、このブログを見てくださっている皆様。


今年もよろしくお願いいたします。



それではまた。