どーも。 実家から帰ってきました。 塩崎です。
先日、また利用者様と深い話をする機会がありました。
本当に心が温かく、幸せな気持ちになれるお話でした。
俺の文才でどこまで表現できるかは分かりませんが、一部始終を思い出しながら文章にしてみたいと思います。
なんでも利用者様の出跡におられる弟嫁さんが『お嫁さんや孫嫁さんが私の世話をしてくれて幸せです。』と言っていたそうです。
その言葉にいろいろ感じることがあったらしく、俺への質問が『年をとってから、不自由なく世話してもらえるのと、自分で身の回りのことができるのとどちらが幸せでしょうかね?』とのことでした。
で、俺の回答ですが『う~ん・・・もちろん動けなくなっては面白くはないと思うので、自分で身の回りのことができるのは幸せなことだと思いますけど、不満なく、不自由なく世話をしてもらえるような(お嫁さんとの)人間関係を作れているっていうことも幸せなことだと思いますよね。』とお伝えしました。
この回答にすごく納得されていたようでして、利用者様のお母さんの話になって、亡くなる前は実の娘(利用者様とその姉妹さんです。)で介護しようとのことで交替で実家の方に行っていたそうですが、慣れない介護のために、お母さんは弟嫁さんを頼りにされることが度々あったそうです。
ひと昔前では嫁・姑の関係も現代とはいろいろと違う問題があったらしく、何か関係がこじれそうになったことがあった時に利用者様が弟嫁さんを庇ったことがあったそうで・・・
現代では離婚する人の話をよく聞きますが、あまり違和感がないと言うか、別にそれこそ良く聞く話でそこに疑問であったり、問題を考えたりはしないですよね。
でも弟嫁さんは、離婚して子供を連れて出跡の実家に帰ったとしても、既に家を継いだ兄弟とその子供たちがいる訳で、自分や自分の子供には居場所はない。
もしもそういうことになったら子供と一緒に農薬で自殺しようという、そういう覚悟で嫁がれたそうです。
弟嫁さんの心情としてはそんな覚悟で嫁いだ家で、姑さんとも良い人間関係が築けたし、自分の息子の所に嫁いできてくれたお嫁さん、また、お孫さんの所に嫁いできてくれた孫嫁さんとも良い人間関係が築けた。
もちろん利用者様と弟嫁さんとも・・・
皆、血の繋がりのない他人です。
そんな人たちとそんな人間関係が築ける。
『自分(弟嫁さん)が今幸せに過ごせるのはお姉さん(利用者様)のおかげじゃ。』
といって、自分の自由にお金が動かせるようになってからは毎年必ずお歳暮を下さるそうです。
現代社会では薄れていってしまっている家、嫁姑関係、人間関係。
こんな覚悟で嫁いでいくお嫁さんはどれほどいるのか?
時代が違うと言ってしまえばそれまでかもしれません。
でも幸せなことだと素直に言える人間関係がここには存在している。
本当に心が温まるお話でした。
俺の拙い文章で皆に伝わったかなぁ?
分かりにくければ加筆しますので、もしもよろしければコメントいただければ幸いです。
それではまた。
2 件のコメント:
お久しぶりです。隅田です。深いですね…人と真剣に接するということは、それなりの覚悟が必要ということですかね…時には自分を犠牲にしないと、その人と信頼関係を築くことは難しい…私たち人と接する物にとって常に考えなくてはならないことですね。軽い気持ちで患者さんと接することはあってはならないですね…
どうもお久しぶりです。
改めて俺もそうだと思いますが、現代人はいろいろと物事を軽く考えがちなのかも知れません。
(深く考えることができていないという解釈の方が正しいのかな?)
色々な物の普及で自分たちを取り巻く環境は日々変わってきています。
高齢者の方と気持ちを接することは、高齢者の方の時代背景やその精神を理解していくことは重要だと俺は思っています。
なんかとりとめのない話で申し訳ありませんが・・・
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