2009年1月30日金曜日

『忙しい』を考える。

どーも。  忙しいを哲学する男。  塩崎です。


とある方のブログに掲載されていた言葉。

『忙しい』という字は、『心』が『亡くなる』と書きます。

という言葉。


当時読ませてもらった時、本当に感心させられる内容だったので、今でも時々この言葉が頭の中に浮かんできます。

ここで話が終わったら哲学ではないので、話は続きますが・・・


さて、心が亡くなるって何だろう?

心が亡くなるってことは何も考えられなくなるってこと?

漢字の成り立ちというものもあるのでしょうが調べてはいません・・・


少し視点を変えたお話をしますと、『多忙』という言葉があります。

『多忙な日々を送る』など。

『多忙』⇒心が亡くなるが多い?

心が亡くなることが多い。 心が亡くなる場面が多くなる。

なんて解釈するとつじつまがあうような・・・


じゃあ話を戻して心が亡くなるとは・・・

先日、ちょっとした仕事の連絡ミスでケアマネさんとヘルパーの事業所の方と、多数の業者さんを巻き込むような事件を起こしてしまいました。

うーん・・・俺がちゃんとこの時間の記載が間違ってますよってケアマネさんに早々に伝えていれば起こらなかった出来事だったし、ヘルパーの事業所の方は仕事の予定の時間を変更してまで俺の都合に合わせてくれてたらしく、お詫びに行きました。

『いやいや、うちもよくやることやし。些細なことでもこんな風な事態になるって思わないし、かえって勉強になりました。時間を変えたことについてはそのまま介護に入ることができたから気にすることないよ。』って言ってくれて寛大にも許して下さったんです!!

まさにケツのアナのでかいこと!!

正直、『こっちは時間の都合を変えてまで行ってるのに!!』って怒られてもおかしくはないですよ。

こちらのことを考えてくれる心の余裕があるってことに本当に感動したし、その数日前に説明の不十分な指示にキレてしまったんですが、そんな自分が本当に恥ずかしかった。


忙しいとこんな風に人の立場や都合を忘れて、自分の都合というか自分中心にものを考えてしまいませんか?

心が亡くなるっていうことは他人のこと、他人の立場を考えて気配りをしたり、心づかいをしてあげたり、許してあげられる心の余裕を亡くした時なんじゃないかなって思いました。


病院に勤めていた頃、外来と入院の両方のリハをしていて、『今リハ室にいる患者さんのリハが終わったら次の仕事に移れる。』なんて頭で考えていると、ひょこっと外来の方がリハ室に来られて、さっきまで頭の中で立てた計画が崩れてしまう。

単純にじゃあこういう風に切り替えようって出来ない俺は妙に不機嫌になっていました。

そんな当時の自分をすごく恥ずかしく思う。

今は訪問で1時間ごとに行く家が決まっているから、病院に勤めてた頃よりは心のゆとりが持てるのだけど・・・


どんな仕事においてもあらゆる事態を想定して先手を打って仕事をこなしていけば、絶対に心の余裕、ゆとりが持てるはず。

そんな仕事ができるように心掛けたいものですね。

そんな境地を悟らせた哲学でした。


ほんじゃまた。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

毎日ブログ見ています。これからもがんばってください。

塩崎 さんのコメント...

どうもありがとうございます!!
頑張ります!!

清水です さんのコメント...

ようやくたどりつきました^^;

心が亡くなる…
多忙に似た意味で『忙殺』っていうのもありますね。
己の心を殺されるくらいその物事に全てが取られてしまっている状態なのでしょうか。

言葉の意味や文字の成り立ちって奥深いものがありますよね。
そこから自分の『今』を省みると恥ずかしくなることが多々あります。

塩崎 さんのコメント...

清水先生。

コメントいただきましてありがとうございます!!

すごく嬉しいです!!

己の心を殺されることがないようにあり続けたいとは思いますが、改めて考えてみると「忙殺」というのは恐ろしい境地ですね・・・

自分の『今』を省みて恥ずかしくなることが僕にも多々あります。

だからこそ恥ずかしくないような自分に成長したいと願う今日この頃です。